本当に自由研究に価値はないのか考えてみた
完全に流れに乗り遅れてしまったような気もしますが、せっかくなので感じたことをつらつらと。
上記のニュースによれば、宿題代行を依頼する背景には、
学校の夏休みを前に、読書感想文や自由研究などの宿題を有料で丸ごと請け負う業者に注文が相次いでいる。塾通いで忙しい子供のために、学校の宿題の代行を依頼する保護者らが目立つという。
こういった事情があるようです。
ただ、個人的には、塾通いうんぬんというよりも「読書感想文や自由研究に価値を見出せない」っていうのがこのハナシのポイントなんじゃないかなぁ、なんて思いました。
まぁ、自分が子どもの立場だったら、夏休みの宿題なんて誰かがやってくれた方がそれは嬉しいですよね。僕もご多分に漏れず宿題は夏休み最終日に片付けるタイプでした。
特に苦手だったのは自由研究。これは毎年毎年めちゃくちゃ憂鬱でしたね。
だって、
まずテーマをどうするか考えなくちゃいけないし、
必要なものを一から揃えなくちゃいけないし、
ちゃんとスケジュールも立てなくちゃいけないし、
成果を上手く伝えられるように工夫しなくちゃいけないし、
こんなめんどうな作業ってなかなか無いですよ。
だからこんなめんどうなことはどこかの誰かに片付けてもらっちゃって、自分は答えがきちんと用意されている受験のためのお勉強をしていた方がよっぽど気が楽なわけです。
あー、今の子どもは宿題代行なんて便利なものがあっていいなぁ。
あー、もういっそのこと、自由研究なんてこの世からなくなっちゃえばいいのに!
...って、本当にそれでいいんでしょうか?
だって、大人になったら、
仕事にどうやって取り組むかは自分で考えなくちゃいけないし、
仕事に必要な知識や人脈は自分で学んだり開拓しなくちゃいけないし、
自分どころか、一緒に仕事をする人のスケジュールにも気を配らないといけないし、
成果をきちんとアピールすることができなければ周囲からは認められないし、
毎日こんなめんどくさーいことの連続なんですよ。
どうせ避けて通ることができない道なんだったら、なるべく早いうちからそういう経験をさせてあげた方が後々の本人のためには良いような気もしますけどどうなんでしょう。
まぁ、自由研究を夏休みの宿題とする背景にそんな狙いがあるかどうかわからないですけど。っていうか、たぶんほぼ100%惰性ですよね。現状維持。
いずれにせよ、それが自由研究であるかどうかはさておき、自分の子どもには「答えのない問題に取り組む方法」や、「そもそもの問いを自分で立てるような経験」をちゃんととあげたいなー、なんてことを今回のニュースを通じて思いました。
ただ、実際子どもが小学生になったら、親子揃って「自由研究めんどくさー」ってなるんだろうな、きっと。それで結局、夏休みの最終日までバタバタ...なんて光景が今から目に浮かぶわ。
まあでも、それはそれでいいかな。
(おしまい)